妙義山 中之嶽神社、伝統の歴史と今後の下仁田町とは

中之嶽神社|工藤貴弘さん / November 29, 2017 / くらす /

上信越自動車道の下仁田インターチェンジから車でおよそ25分に位置する中之嶽神社。「日本一のだいこく様」に会いに行ってみませんか?

その歴史とは

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―さっそくですが、中之嶽神社の歴史から教えてください

中之嶽神社は、轟岩という岩に神様が降臨してくることが信仰の始まりとなっています。山の神(波胡曽神)様を祀りはじめたのが、中之嶽神社なのです。大体3,000年くらい前の縄文時代から伝わるお話ですね。そのときはまだ神社や神道という概念はなかったのですが、金鶏山、白雲山、金洞山という3つの山があり、当時の人たちは真ん中の金洞山に手を合わせる習慣がありました。縄文人が長い時を経て徐々に、磯部から松井田、妙義と、この神社に近づいてくるのです。そして、仏教が伝来し妙義山にお坊さんや、修行僧がたくさん入って修行するようになりました。

―古い歴史があるのですね

神話にも出てくる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が関東においでになられたときに、妙義山の中に住みついている山賊が里人を困らせていたので、退治してくれたそうです。村人は日本武尊の偉業を称え、妙義山の司祭としました。ですから、成り立ちは波胡曽の神様ですが、主祭神は日本武尊です。これが中之嶽神社の成り立ちです。それからここは修験の場所ですから、修行僧や山伏がたくさん来られて修行をしていました。境内には、およそ1250年前に大国主命(オオクニノヌシノミコト)とだいこく様をお祀りした、大国神社もあります。私の祖先は明治の初めにここへ来ています。

観光の名所として

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―観光の観点ではどうでしょう?

昭和46年に観光道路が開通して1年に100万人の観光客が来るようになりました。そこで観光の山になりましたね。それから10年くらいは観光客を維持していたのですが、徐々に観光客は減り、現在は30万人くらいになっています。やはり、妙義山や中之嶽神社を信仰している方はもちろん、妙義山が好きな方を増やさないといけないなと感じていますね。

―今も修行僧の方はいらっしゃいますか?

今はないですね。昭和50年くらいまでは来ていましたが、どこの山もそうなのですが、昔は神社にお参りする習慣というのもありました。茨城から来たり、長野から来たり、近隣の方もたくさんお参りに来てくださいました。いまだに近県からお参りにいただいておりますが、かなり減ってきましたね。

―御朱印をもらいに来る方は増えているんですか?

激増していますね。去年の倍来ています。土日は8時から5時までずっといらしていて、大変です。人が来てくださるのはありがたいことなので、喜んで勤めています。

―中之嶽神社と妙義山と言えば、やはり紅葉や桜のシーズンが魅力的ですよね。

はい、春の桜の時期には8万人くらい、秋の紅葉の時期には10万人ぐらいいらっしゃいます。最近は「山ガール」と呼ばれる、山を登る女性が非常に多くなりましたね。昔は地味な登山の服を着た山男が多かったのですが、今はファッショナブルな若い女性が山にいらっしゃいますね。

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「お互いにすすめあう」、それがポイント

―下仁田町と神社の関係を今後どのようにされるご予定ですか?

観光協会の一員でもあるので、下仁田町とは「お互いにすすめあおう」という話をよくしています。例えば、神社にこられた方に『これからどちらにいくの? じゃあ、これからお昼食べるんですよね? あそこの下仁田のカツ丼とってもおいしいよ』と。そういうことをお互いにおすすめしあおうよ、と話しています。『下仁田に寄っていって』というよりは『下仁田のカツ丼うまいよ』って言った方がいいと思っています。

―下仁田町に興味のある若者に対して伝えたいことはありますか?

僕は下仁田町の生活を思いっきり満喫しています。七夕や下仁田ねぎ祭りなどのイベントもあり、楽しくて、おもしろいですよ。町民が楽しく暮らしていないと若い人は来ないと思います。つまらない町に来るわけないので。下仁田町って何か楽しいところだな、おもしろいところだなと、若者に見せることだと思います。あとは、もう少し普段の中で住民が交流出来るような場があるといいよね。 東京からは新幹線で高崎まで約1時間、高崎から下仁田町まで約1時間とアクセスも良いので、ぜひ気軽に下仁田町にお越しください。

―ありがとうございました!

中之嶽神社
〒370-2621 群馬県甘楽郡下仁田町大字小坂1248
TEL. 0274-82-5671
Web. http://www.nakanotake.com/